幸せは、いつでも自分次第

こんなにも必要とされている
お母さんは、子供が生まれると、その瞬間から、自分の時間が突然なくなってしまいます。
2時間おきの授乳とおむつ交換で1日が過ぎていき、昼も夜も関係ない生活が始まります。
お母さんは、常に全身の神経を赤ちゃんに向けて生活していて、寝ている赤ちゃんが「クスン」と、寝息ひとつ立てただけで目を覚まします。
夜中に、授乳もおむつも終わっているのに、それでもずっと泣き続ける赤ちゃんを抱っこして、あやすこともしばしばあります。
それなのに、この状況で寝続けいる夫を、「あり得ない?!」「信じられない?!」という驚きの気持ちで、見下ろしたりすることもたびたびあります(笑)
夜泣きの時期が過ぎても、離乳食、検診、児童館や公園へ連れて行ったり、ぐずる赤ちゃんをおんぶしながら夕飯の支度をしたり、毎日毎日、片ときも赤ちゃんと離れることはありません。
本当に大変だと思います。お疲れさまです。
それでも頑張れるのは、赤ちゃんが笑顔で応えてくれるから。
ママじゃないと嫌!と言って泣いて、ママが抱っこしたとたん安心して泣き止むから。
「ママ、ママ」と、こんなにも自分を必要とされることがあったでしょうか。
こんなにも無償の愛で愛されることがあったでしょうか。
幸せかどうかは自分次第
「子供に自分の自由を拘束されている」「子供の存在があるから、自分は人生を楽しめていない」などと、不満に思ったりすることがあるかもしれません。
「お母さんである前に、一人の女性でありたい」と思うこともあるかもしれません。
このように「子供に縛られて、自分は幸福でない」と考えてしまうと、お母さん自身の毎日が辛いものになってしまいます。
自分の人生は自分次第です。
すべては、自分の物事の捉え方次第だということに気がつくだけで、日常は一変します。
そして、そのためには、ほんの少しの努力とほんの少しの工夫が必要なのかもしれません。
当たり前を当たり前と思わない
子供がいなかったらまた違う生活だったことは間違いないですね。
どちらがよかったでしょうか?
「そりゃあ、いた方がいいに決まってる」という声が聞こえてきますが、では、その生活を不満に思わないためには、どうしたらいいのでしょうか?
- 当たり前のことに感謝する
- 「今、ここ」に感謝できる
人はみな、「あたりまえ」と思っていることには関心が向きません。
「あたりまえ」だからです。
ほんの少しの努力と、ほんの少しの工夫とは、「当たり前」を「当たり前と思わない」ことです。
それだけです。
それだけなのだけど、意外にも難しかったりします。
努力が必要だったりします。
努力というより訓練でしょうか。
「当たり前を当たり前と思わない力」を身につけていく訓練です。
そしてこのことは、自分の幸せに直結しています。
「自分で自分を幸せにできる力」と言ってもいいかもしれません。
母としての幸せと喜びを、大きくしていく。
母としての喜びをもっと大切にしていく。
幸せとは、そういうことなのかな、と思います。
幸せは、人から与えられるものではなく、いつでも自分次第なのです。
須藤 有紀
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